猿
深き闇の林の中は、月明かりを頼りに歩ける道ではなかった。
視覚に頼る私ではないのでね。 殺しにいこうかと思うのさ。
「猿よ、何故あの場所を欲しがった? 」
木々から何かが落ちる音がすると、気配が一つ二つ増えて近付いてくる。
腐敗した匂いが迫るから視界が悪くとも気付いたのさ。
「死人も動かせるのか……? 」
数ヶ月で事故死が増えたと言う病院であったな。
数ヶ月の間、お前は死体を食事と傀儡に使い人を殺していたのか。
動く死体に鉛を打ち込んだらどうなるのか…… な?
両手に持ったぴすとるを腐敗臭する空気の淀みへ向けたのさ。
鉛を全て打ち込むと、向かってくる気配が遅く感じるだけで周囲は何かが落ちてくる音が増えるばかり……
「暗闇の中では退屈だな…… 」
取り出した和紙を四枚五枚右手で開いて風に乗せるだろう?
一枚だけこの場に落ちる。 残りは四方に舞いながら牡丹の灯篭を点けて周るのさ。
札が舞い戻りこの場に落ちた札と重なると底の見えぬ穴が開き、右手左手と姿を見せるんだ。
「朔…… 恋華咲かせ散らしておいで…… 」
前髪を揃えたほほ染める女だよ。
ただそれだけさ。 少し明るくなったこの木々の折の中は死体が歩いて向かってくる……。
私は近くの樹に背中を預けると座り込む亜曼荼羅を見ていたのさ。
決して派手な着物姿では無いのに、私の事など忘れたようだ。
どちらの死体も座り込む女を求めて群がるのさ……
こうして見ると、人間も猿と変わらぬ。
狭い視界の中、雌を支配しようと手を伸ばし押し倒す。
私には人の価値も獣の価値も一纏めに感じてしまう時があるのだ。
だがな…… その女は危険だぞ?
見た通りよ。 弱弱しい恥じらいある乙女だよ。
群がるお前達がそいつの肌に触れた時……
「始まるかな…… 」
すすり泣く声が漏れ、顔を上げた女の涙は血と混じる。
首元を両手で引き千切ると、巨大な二枚貝が潮吹きする如く辺りに血液が噴火したのさ。
例えは間違っていないほど熱い血が死人を焼いて溶かす。
阿鼻叫喚の終わる頃、動かぬ死体で落ち着いたとさ……
純潔の乙女の恥じらいが、ここまで凶器に変わるのも帝國有数の例しかない。
「朔…… 灯篭は朝まで貸しておくれ 」
笑顔で頷くと月明かり見上げ、百合の花となってこの場所から消えた……
注意深い獣だと今思うわけだが……
その猿は……
調律の取れてない琴を弾いた泣き声で、朔の血で溶けたボロボロの死体を一つに纏めて黄泉から戻した。
「寄掛かっている場合でもないな…… 」
背中を預けた樹に和紙で作ったヒトガタを張り距離を取ったのさ。
猿が何処で見ているか解らぬで、一つになって形を変えた死体を観察しようかなと……
巨大な猫……? 体つきはそんな感じだな。
尾が三本、猿の顔……
初めて見るな……
私の二回り程大きいのかな? ヒトガタを口寄せてみるか。
戦イ
「その獣姿は死体を集めた粘土細工か? 」
両腕を組んだ私が樹に寄掛かっているように見えるだろう?
どうだ? お前のその動きは俊敏なものなのか?
夜露を吸い、重くしなる樹が獣の前足を腹に受けて我慢の限界を超え倒れた。
思った以上に力強く、早い……
「おお! 」
考える間も無く、距離を詰められた。 即ち私を捉えていたのだ。
迫ってくる音にすら気付かなかった。
左から横殴りに前足が迫る。
「早いな…… 」
湿った樹を倒す力と真っ向勝負とはいかないのでね……
「蘭丸…… 」
こちらも早いだろう? 迫る前足に左手の甲を見せ握る。
抜いてなかったはずの刀身が現れましたとさ……
切っ先は土に刺し刃の背を左足で固定だよ。
衝撃を殺しながら獣の前足が飛ぶのを眺めたのさ……
そのまま蘭丸を両手持ち、右上段から首めがけ振り下ろした。
「ほお…… 」
素晴らしい! 獣の反応速度とはこれほどかよ!
蘭丸に向かって噛み付き膠着……
判断が遅れたこの瞬間だった。
背中に打ち込まれた手術道具の冷たさを感じたのさ。
泥に何か硬い物を打ち込んだ音が二度、三度かな……
私にはそう聞こえた。 どぷり、どぷりとね……
銜え込まれた蘭丸の背を左肩で押して、右手で円を書き呼ぶのが精一杯。
「左ゑ門…… 開錠してやれぬ…… 」
黒い拘束衣に包まれた鬼の子は闇と同一化し、獣の目に写ることも難しかった。
「無様…… あきつぐ。 刀一本銜えさせ 」
左ゑ門に何か言われたのは解ったのだが……
体に力が入らぬ……
打ち込まれた刃に毒が盛られていたな……
視界が霞む最中、真後ろで猿の勝ち誇る拍手が聞こえた。
「蘭丸…… 」
左ゑ門の拘束衣を断ち切る音が鳴ると、黒髪を振り乱し獣に切り掛かる。
痺れて動けぬ私に近付いた猿と目が合ったのさ。
「片目は潰れたままか? 」
私が笑うと猿は激昂し、私を押し倒した。
片目を細め馬乗りになる猿は私の首を噛み千切る。
元々痛覚が弱いのでね、動じることも無いのだが……
獣の息遣いが耳元にあると嫌悪感は凄まじいな。
動けぬ体に蜘蛛が這い回るような錯覚を喰らうのさ。
もう一撃来る気がしたのだが、肉の塊が馬乗りになる猿の顔を直撃した。
「獣脚落とした 」
投げつけた左ゑ門は刀一本で獣と交戦。
私の腕が動くのを機に、和紙を取り出し両手に広げた。
地面に落とせばそこから槍が出てくるのさ。
私の上を跨って、怯んだ瞬間の猿の体に刺さる刺さる。
「ぎゃっぎゃ! 」
釣り針が両肩、わき腹、右太ももと刺さっていく。
その札が風に舞い、四方の木々へ張り付くと。
猿は貼り付けで闇に浮かびましたとさ……
「毒を盛る知能に驚いたぞ 」
さてと……
そのまま縛られておると良いさ。
「左ゑ門、働きに感謝するぞ 」
片目を見開いたまま、こちらを見ることは無い。
左ゑ門が右手を振り下ろし引き抜くと獣も終止符を打ったとさ。
首が落ち足でソレを踏み抑えると倒れこもうとする二本足の獣に、左ゑ門は刀を突き刺して黒髪を振り乱した。
「夜の夢…… 堕ちて明ける也 」
満足げに口の端を吊り上げると黒い靄に包まれて消えた。
遺骸が地面に落ちると私の体に響き再び起き上がることは無かったのさ。
期待したより追い込まれること無かったな……
そう思うのだが……
腑に落ちないまま貼り付けにされた猿を殺そうと蘭丸を抜いたのさ……
「ぎい! きいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! 」
命の灯を吹き消されることが解るのだと私は思うのだが、そこに同情も出来ぬし何よりアーニャの元へ帰りたいのさ。
磔のまま猿の首を切り落とし、四肢をバラして終わったのさ。
「お仕置きは身に染みたか? な……? 」
夜明けもまま成らぬ時の過ぎ去りは、この物語の続きを紡ぐのに十分な時間だったのだ。
「猿と院長の組み合わせだと…… そもそもアレの人格は何処へ行ったのだ? 」
気付いた頃にはもう遅かった……
アーニャ……
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